こんにちは。
2025年が明けてはや一月が過ぎましたが、
いいスタートがきれていますでしょうか?
中には年始に1年の目標を掲げて、それに向かってチャレンジ中!という方もいるかなと
想像しながらPCに向かっています。
実は私も、今年は更にいいレッスンにしていきたいなと絶賛新しいことにチャレンジ中です。
(『新しいこと』の内容についてはまた別の機会にお話しますね)
新しいことにチャレンジしてる時って、必ずたくさんの壁にぶつかりますよね。
そして私はその壁に毎回かなりの落ち込みようで凹むんですが。。。
ちょっと前に、壁を早く乗り越えられる人ってこんな人なんだな、
というのを目の当たりにして
私もそうなるぞ!と心に決めたことがあったので、そのお話をしたいと思います。
それは私の8歳になる娘の話です。
(親バカな表現も含まれますが、温かい目でお読みください笑)
娘は、
負けず嫌いの努力家。
努力をする分、小さいプライドをしっかりともってる
ちょっと恥ずかしがり屋の女の子です。
娘はダンスを習っていて、
迎えにいくと毎回、満面の笑みで楽しかったー!と興奮した様子で話してくるのですが、
この日はなんだか様子が違ってました。
ちょっと気になりつつも、
ダンスとは関係ない話をしながらの帰宅中。
『ママ、あのね、』
と娘が話し始めました。
話を聞いていくと、
どうもその日のレッスンで先生から2回個人的に指導を受けて、
それで気持ちが落ち込んでる
という内容でした。
『怒られてるわけじゃないのはわかってるんだよ。
でもね、それでも注意されるのは嫌なんだ』
と。
この気持ち、ものすごくわかるなと思って聞いていました。
だれより上手くなりたいと思ってて
一生懸命練習もしてて、
それでも完璧じゃないことは彼女なりにわかってる。
自分でわかってるし悔しいとも思ってる。
だから
だからこそ、
できていない部分を先生からはっきりと言われることで
それが逃れようのない事実として向かってくること
しかもそれをみんなにも知られてしまうこと
がすごく心に嫌な感じで刺さってしまうんだろうなと
「ママもよく同じ気持ちになるからすごくわかる。
心が痛くなるよね。
ママも同じだから、そういう時どうしたらいいのかなってよく考えるんだけど。
今よりもっとうまくなりたいなら、
つらいけど、できてないという事実を認めて
つらいけど、前を向いて練習していくしかない
と思うんだ。
だけど、ママもそれがなかなかできなくて困ってるから
一緒にやってみない?」
小さく頷く娘。
「あとね、きっと先生は〇〇ちゃんに期待してるからこそ
指導したんだと思うんだよね。
言っても何も変わらない子にはわざわざ言わないよね」
と私なりに自分でも思ってることを伝えてみた。
しばらく涙顔で私の話を聞きながら、
わかったようなわかってないような
でもなんとか娘なりに向き合おうと踏ん張っているような顔をしていました。
夜になり、夫が帰宅して
『パパ、パパ聞いて〜』
といつものように娘がおしゃべりを始めたので
今日は何のおしゃべりをするのかなぁと思って聞き耳をたててると
『〇〇ちゃんね、
今日2回も先生から注意されたんだよ〜。あのね、パパ、知ってる?
注意はね、期待してる人にしかされないんだよ
それでね、〇〇ちゃんは2回も指摘されたのー』
それはもう満面の笑みで誇らしげに。
びっくりでした。
確かに私は娘にそう言ったし、頭では本当にそう思ってる。
でも、
私が自分自身のことに置き換えた時に、
心から本当にそう思えているかというとかなり微妙なところ。
どこかやっぱり綺麗事だと感じる部分もあるし
私だったら同じことを言われても
注意された事実を、『自分はダメなんだ』と解釈して。
その部分ばかりが頭を占領して
凹む時間はずっとずっと長く
さらにその凹んでる期間は、前を向けずに大した練習もできないでいたと思う。
それなのに娘はものの数時間で
私の言葉を自分のものにして前を向いてた。
その日から娘は暇さえあればダンスの曲を歌いながら踊って練習してます。
この件がある前より、ずっと楽しそうに。
人から言われたことに、
自分が目指すものに対して、まだ足りていない部分があるという事実に、
顔を背けていじけて凹んでる私と
人の言葉を素直に受け止めてしっかり前を向き直した娘。
起きてることは全く同じでも
受け止め方一つでその後の行動が全く違う。
チャレンジすると誰しもに必ず現れる壁。
私は娘のように素直に受け止められる人間であろうと決めました。
みなさんはどうですか?